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アジア通貨危機

アジア通貨危機
第一に,IMFが指摘するように,資本の自由化は順序良く(well sequenced)かつ慎重に(prudent)行われるべきである。まず,資本の自由化は国内における金融部門を始めとする各種の構造改革を行った後に,あるいはこれを行いつつ進めるべきである(第2-4-14表)。ロシアについても,ブラジル同様,他の周辺諸国に比べて財政赤字が大きく,また,そのファイナンスのために短期国債を増発したため,短期資本の流入が急増した(注9)。さもないと,国内経済における各種の歪みによる資源の非効率的配分が自由化によって更に悪化する危険性が高い。また,情報の非対称性や市場の失敗が資本の流れを極めて不安定なものとする可能性にかんがみると,自由化は慎重に行われるべきである。IMFも主張するように,国内における金融規制緩和が健全性原則(prudential rules)を必要とするように,国際的資本移動の自由化も過度の短期的資本流入を引き起こさないような適切な安全弁を必要とする。

アジア通貨危機

1980年代経済成長を続けていた東南アジアやNIEs諸国では金融自由化などの世界経済のボーダーレスが進み、海外から多額の資本が流入して不動産などに投資された。特にタイでは90年代にかけて、いわば「バブル状態」にふくれあがった。そのような中で1997年にタイの通貨バーツが突如、暴落した。それは外国の通貨や株式の売買で巨額な利益をあげるヘッジファンドとよばれる投資家グループが、タイ経済の先行きの悪いことを見通し、一気にバーツ売りに走ったからであった。当初バーツを買い支えていたタイ当局も買い支えられなくなり、バーツは変動相場制(東南アジアの通貨は当時は固定相場制だった)移行を宣言した。このタイの通貨暴落はマレーシア、インドネシア、韓国に飛び火し、アジア通貨危機が急速に深刻化した。

タイで通貨危機が発生した原因は次の点にあった。1985年9月のアメリカのドル高を是正するための先進国諸国間のプラザ合意以後、円高などにより先進国からの発展途上国への直接的な投資が始まると、タイでも海外からの製造業投資が急増して、1985~95年の輸出伸び率が年平均で20%を超え、経済成長率も年平均で9.9%の高い水準を記録した。しかし、同時に、世界の投機的資金も流入したので、証券市場や不動産価格が高騰して、実体経済とは無関係にバブル状態になった。これに加えて、投機的投資に対するタイの金融制度の不備や脆弱性があったことが一因として指摘されており、これらはタイ以外のアジア諸国でも共通の弱点だった。 <岩崎育夫『入門東南アジア近現代史』2017 講談社現代新書 p.208>

(引用)バブルがはじけ、投機的資金がタイから引き揚げてバーツが暴落すると、タイ中央銀行の外貨準備金は1996年12月の338億ドルから、危機が発生した1997年7月にはわずか11億ドルになった。そのため、IMF(国際通貨基金)と日本がそれぞれ40億ドル、他の支援を合わせて172億ドルの緊急支援をタイに行った。危機がアジアの他の国にも波及すると、国際通貨基金や世界銀行などが主導して、インドネシアに392億ドル、韓国に350億ドルの救済融資がおこなわれたのである。 <岩崎育夫『入門東南アジア近現代史』2017 講談社現代新書 p.209>

マレーシアのマハティール首相は通貨危機の原因は国際的な投機家に責任があるとしてIMF管理を拒否し、投機取引規制や為替相場に対する管理強化などで通貨危機を乗り切った。 アジア通貨危機
インドネシアでは、IMFの緊急融資を受けることを決めたが、IMFによる経済支配に反発した民衆が反対運動を展開、1998年5月、ついにスハルト大統領は32年続いたその地位を降りるという事態となった。
タイでも通貨危機に対応できなかったチャワリット内閣が退陣、代わったチュアン内閣がIMFの指導のもとで不良債権の整理を進め、日本の支援で雇用創出などに努めた。その結果、バーツ下落で通貨競争力が増したこともあって輸出が増え、1999年には成長率をV字回復することができた。しかし国民のなかには経済危機に際しても強いリーダーシップを発揮する政権に期待する声が強まり、それを受けて実業家として成功したタクシン政権が2001年に登場することとなる。
韓国では金泳三大統領が90年代にグローバル経済に対応するとして、市場開放・合理化を進めていたがアジア通貨危機に対応できず、同年末の大統領選挙で当選した金大中がIMFの求める緊縮財政、規制緩和、公共事業削減などを行うことを条件にその支援を得て構造改革(経済調整政策)を進めた。

このアジア通貨危機は、急成長を遂げたこれらの国々が、現実には通貨管理態勢などが不十分であったために、欧米の投機的な通貨投資家に狙われ、短期融資の資金が引き上げあられたためと言われている。いわば東南アジア版のバブル崩壊であり、国際的なヘッジファンドの力によって起こされた「新しい型の金融危機」であった。現在ではASEAN諸国に日本、中国、韓国が加わり、「アジア通貨基金」の設立の構想などや二国間の資金融通協定が生まれており、通貨危機に対する対策がとられている。
このアジア通貨危機によってNIEsの時代は終わり、2001年以降は中国経済の急速な成長がアジアだけでなく、世界経済の最も注目すべき動きとなっている。2013年、中国の習近平国家主席は東南アジアを歴訪した際、「アジアインフラ投資銀行」の発足を提唱、2015年末に発足させた。発足時は東南アジア諸国が参加したが、その後イギリスなどのヨーロッパ諸国が参加(アメリカと日本は不参加)して、中国のインフラ開発投資が新たな枠組みになろうとしている。

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